みどり深き山々と清らかな水が生みだして、郡上びとが育んだ味覚の数々。 城下町の散策の折、ちょっと足を止めていただきたい味の道しるべです。
郡上八幡 肴町
TEL 0575-65-3709
郡上八幡 左京町
TEL 0575-65-3709
郡上八幡 殿町
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郡上八幡 下日吉町
TEL 0575-67-0044
郡上八幡 本町
TEL 0575-65-3000
郡上八幡 本町
TEL 0575-67-0801
郡上八幡 橋本町
TEL 0575-65-2271
郡上八幡 稲成
TEL 0575-65-2217
郡上八幡 殿町
TEL 0575-67-2286
郡上八幡 日吉町
TEL 0575-65-2611
郡上八幡 新町
TEL 090-4626-2847
郡上八幡 新町
TEL 0575-67-1819
郡上八幡 日吉町
TEL 0575-67-0555
Ramen
郡上八幡 新町
TEL 0575-67-2377
郡上八幡 本町
TEL 0575-67-1766
郡上八幡 旭
TEL 0575-67-2108
郡上八幡 殿町
TEL 0575-65-2048
郡上八幡 新町
TEL 0575-65-3539
郡上八幡 新町
TEL 090-4088-4732
郡上八幡 今町
TEL 0575-67-1222
郡上八幡 左京町
TEL 0575-65-4522
郡上八幡 島谷
TEL 0575-65-2209
郡上八幡 桜町
郡上八幡 殿町
TEL 0575-78-0770
郡上八幡 新町
郡上八幡 本町
TEL 090-6156-7258
郡上八幡 橋本町
TEL 090-4865-0217
郡上八幡 本町
郡上八幡の特産として隠れた人気のあるのが「手もみの焙じ茶」。小那比、相生地区で栽培される茶葉が使われます。
もともとこの地区は地形が山がちなため江戸時代に郡上藩主が水田や畑作には不向き、と茶の栽培を奨励したのが始まりという長い歴史をもっています。
朝霧が立ち、昼夜の温度差のあるこの地域の気候がおいしい茶葉の育つ理由でもあります。
この山里で手摘みされた茶葉は培炉(ほいろ)と呼ばれるもみ台で手もみにされ、葉振るい、もみ切りといった伝統的な製法で念入りに作られます。
見た目葉はやや大きく荒い感じがしますが、こより状の見事な出来ばえと香りは市販の大量生産の物とは比べものにならないくらい。多くのファンを持つのもうなずけます。
郡上八幡に来てお茶が美味しいのは水のせいばかりと思っていたらそれは大きな間違いですよ。
都会では健康食品の店にでも行かないかぎり、手に入れにくい粟やきびなどの穀類も郡上八幡ではあたりまえのように店先に並んでいます。
しかもどの店も広い間口にべんがら格子という立派な店構えです。
昔から人間の食生活に必要な食物として五穀とよばれた穀類は、今でこそ健康を考える人たちの間で人気を集めていますが、米以外は「雑穀」なんて見下した名称をつけられてきました。
この町では長年にわたって雑穀類の食べ方やその効果を店の主人自らが講習の場を設け、昔からの伝統を絶やさないように一般の主婦からなんと小学生に至るまで指導してきたといいますから、その裾野は広いわけです。
きびや粟などを加工したきび餅、粟餅、それに豆餅、よもぎ餅(もちろんアンコなんかは入っていません)などこの町の人々は気軽にごはんの代わりに主食にしたり、じつに上手に穀類を日常の食生活のなかに取り入れているのには驚かされます。
そういえば町を歩いてて気づくのは、元気なお年寄りが多いこと!「五穀豊穣」の町は「長寿健康」の町なのかもしれません。
「郡上八幡のうなぎは美味い。」というのは定評のあるところです。
それはどの店もいいうなぎ屋に必要な3つの条件を満たしているからです。
一つめは良い水。 郡上八幡のうなぎ屋はどこも敷地の中に井戸があったり、川の水を引き込んだりしてうなぎを活きたまま飼っています。
いわゆる「生け簀飼い」というもので、清らかな水の豊かなこの町ならではの成せること。
鮮度が第一の鰻ですから味を大きく左右しますが、都会のビルのテナントのうなぎ屋ではこうはいきません。
二つめは、いずれも老舗で長年にわたって使い込まれたタレを大切に守っていること。
創業50年、100年という歴史ある店ばかりです。
つぎ足しでじっくり熟成されたタレはうなぎの旨みと相まってこそ、そのおいしさを増してゆくのです。
そして三つめは商業の町として栄えた郡上八幡は、商人たちのお昼を兼ねた商談の場としてうなぎ屋が利用され、口の肥えた地元の人たちによって磨かれ、育てられたという背景があります。
京都の著名な川魚料理屋はどこもその名に「美濃」がつくのを見てもわかるように、岐阜県は昔から鮎、うなぎの扱いにこなれた土地柄。
それはお隣りの尾張、三河で良質の味醂、溜り醤油が造られた地理的な好条件もあります。
夏ともなればどの店も、郡上おどりのスタミナ補給の観光客と暑気払いの地元の人でまさに「うなぎのぼり」の人気でにぎわいます。
水のきれいな町には、必ずおいしいそば屋があります。
「水とそば粉さえしっかりしていれば、そばはおいしくなるもの。本来は簡単な食べ物です。 しかし、水もそば粉も現在では良いものを手に入れることが難しくなってきました。」とは、あるそば屋のご主人の弁。
「郡上八幡ならではのそばといえば秋の自然薯の山かけがあります。 天然なので収穫量も少なく松茸以上に高価なものですが、あまり講釈をならべて逆にお客様に
(これは大変なものを食わせてもらっている。)という感じを与えてもいけません。 そばは所詮そば。料亭さんの料理とは違いますから。」
と味本位で謙虚な姿勢は別の老舗の先代の女将さん。
郡上八幡のそば屋は、洒落た店構えや奇をてらったメニューはないかわり、のれんをくぐると三和土に小上がり、黒光りのする柱に箱段なんかがあってそのまま時代劇のそば屋のセットにつかえそうな店もあります。
基本を第一とする姿勢が味ばかりではなく、店の造りにも伺えます。
そしてこの町のそばは、どれもちょっと色黒でそばの香りがひときわ高い。
いい水といいそば粉に自然薯、わさび、地もののネギなどの引き立て役も揃って郡上八幡はそばを味わうのにはうってつけの町なのです。
お好み焼き
郡上八幡のお好み焼き屋には「郡上焼き」(又はネギ焼き)というお好み焼きがあります。
その名のとおりネギだけをたっぷりいれて焼いたシンプルなもの。
イカ入り、ブタ入り、蝦入り、はてさて焼きそばまで入る広島風と豪華なお好み焼きに主役の座は取られがちですが、未だに根強い人気があります。
この「郡上焼き」、お好み焼きのルーツといわれる中国の「葱油餅・ツォンユーピン」と酷似しているのも興味深いところです。
それが中国から韓国に伝わり韓国でできたお好み焼きが「ビンデッド」。
これには日本と同じく豚肉、蝦、キャベツ(キムチ)がはいります。
それが日本に来て今のお好み焼きのスタイルになったのでしょうが、郡上のお好み焼きはいわばここへ来て先祖帰りを遂げたようなもの。
食べられるのは、鉄板料理の店から学生たちに大人気の気どらない店までさまざまですが、あまり大きな看板を掲げた店はないので目立ちません。(なかには看板すらない店も)
どうぞ町の人に気軽にたずねてください。
「どっかおいしいお好み(郡上八幡ではお好み焼きのことをこう言います。)の店、知りなれんか?」
古い町並みを歩いていて「おやっ?」と不思議に思うのが軒先につるされた白い木箱。
これは郡上八幡では豆腐屋の目印です。
味はもちろん、豆腐を冷やすのにも良質で大量の水を必要とする豆腐作りには天然の湧水や地下水の豊富なこの町はまさにうってつけ。
それに長い経験に裏打ちされた職人の勘と良質の大豆がものをいいます。
山深いこの土地では昔から豆腐は大切な栄養源だったため、今でもこの町の人は大の豆腐好き。
正月のおせち料理にも数種類の豆腐料理が入るほどです。
それに寺院が多くて仏教の盛んな土地柄ゆえに、報恩講などで豆腐の料理の需要が大きかった歴史背景もあります。
ここでは豆腐にもちゃんと旬があって、「絹とうふは桜の花が散ってから、からし豆腐は6月から。」といったこだわりがあります。
また大和町には「母袋(もたい)とうふ」という堅豆腐がつたえられ、昔から「母袋とうふに頭をぶつけてコブができた」とそのユニークさはいわれていますが、普通の豆腐なら100丁分できる豆乳からとれる母袋とうふはわずか8丁。大豆の滋養が凝縮されてるような味わいです。
きれいな水の恵みを最大限にうけた郡上八幡の豆腐たち。それは多くを語らない店のご主人や職人たちに代わって雄弁にその美味しさを主張しているようです。
夏の陽射しに清流はきらめきを増し、山々に緑はその濃さを深めます。鮎釣りの解禁ともなれば全国から太公望が集まる長良川。日本屈指の清流です。
白山山系の火山岩が鮎の餌となる良質の珪藻を育み、全長136キロメートルの大河でありながらダムのない自然河川は天然鮎をはじめサツキマスやアマゴなどの淡水魚をぐんぐん遡上させます。そして現在でも多くの川魚漁師がこの川で生計を立て、郡上八幡ならではの釣り文化を育てあげているのです。
ひと口に長良川の鮎といいますが、その上流にあたる郡上八幡一帯の鮎は「郡上鮎」と別な呼称でよばれ一目おかれた存在。東京は赤坂や築地の高級料亭へも連日最高のものが直送されて行きます。
鮎は6,7月は若鮎、8月になれば豊潤な味わいとなり9月は子持ち鮎とその時々に味覚をかえて楽しませてくれるのが特徴。
料理法は「うねりざしに竹串を打ち、塩をふってこんがり焼きあげ、熱々のうちに召し上がれば、天下の美味ここにあり。」と称される塩焼きを筆頭に鮎雑炊、鮎寿司、味噌のよい郡上ならではの魚田など。
生命はもちろん新鮮にある鮎にあって刺身や背越しでいただけるのも産地ならではの強みです。
郡上八幡のほとんどの料理屋や旅館は清流や湧水を引き込んだ生簀に生きた鮎を放ち、調理する直前まで生かしているので「香魚」の名にそむかない本物の味が期待できます。
夏の宿の夕食はもちろん料理店も「鮎づくし」「鮎御膳」といった名のコース料理でその味を競い、これだとひとり3、4匹の天然鮎をたいらげるわけでまさに鮎料理の世界を制覇した気分。
郡上の人は「おいしい鮎が食べたければどうぞ足を運んで、」といざないます。
宅配グルメの興隆やデパートの地下食品売り場大人気の今の時代にあって「その季節(とき)の物をその産地に出向いて食すことこそが真のぜいたくで美味しさの原点である」ということを郡上八幡の人々は静かに問いかけているようです。
郡上八幡の宗祇水につづく石畳の路地を歩いていると、かすかに漂うニッキの香り。どっしりとした蔵屋敷は古くから続く名物の肉桂玉の本店です。
この肉桂玉がいつの頃から伝わった菓子なのかは確かな文献がなくわかりませんが、元禄時代(1690年頃)京都では、肉桂を使った菓子や飲料が一大ブームだったようです。
そしてその頃に有名な京銘菓の「八つ橋」も生まれています。
郡上八幡城の歴代城主はいずれも京都に太いつながりをもち、刀鍛冶、大工はじめ多くの職人を京都から郡上に招いて産業や文化の高揚をはかっていますから (郡上ことばが美濃地方の方言と全く違って京都訛りなのはこのため)
その中の菓子職人がそののちこの地に伝えたと考えても不思議はありません。高価な砂糖を大量に使う飴菓子は当時は贅沢品のひとつでした。
明治時代になってからは砂糖の供給も安定し、昭和の中ごろまでは10軒を超える肉桂玉のお店が町なかにありました。
今も肉桂の風味を生かした郷土菓子は肉桂玉の他に肉桂せんべいや餅菓子「美濃路」などに見られます。そしてそれぞれにどこか京名物を彷彿とさせる味わいがあります。
郡上八幡が小京都と呼ばれる所以は単に町並みだけではなく、人々の心の中にあった京都への懐かしさや憧れがお菓子や方言となって表われている、そんな歴史の中にもあるのです。
東海北陸自動車道を利用して郡上八幡へいらっしゃった観光客の方はみなさん声を揃えて「郡上八幡は山の中ですね。」とおっしゃいます。
それは高速道路がわざと人家のない山間に建設されているからで郡上はもともと谷が開けた田園風景の明るいところです。
そして四方の山々からそそぎこむ清冽な水がおいしい米を育む米どころでもあります。
歴史を学ぶ中で一般に一揆の記録や飢饉の記述からあたかも江戸時代の農民は米を作っても食べられなかったような印象をうけますがそれは誤りで、あったとしてもごく一時期のことだったようです。
当時の日本の人口は3000万人。米の生産高は3000万石。輸出入のなかった時代ですから一人あたり年間1石の米は主食として十分あり余る量。江戸の昔もみんなおいしいお米を食べていたという事実にはちょっとびっくりします。
江戸時代の国学者、平田篤胤が書いた江戸の町の楽しみは「美濃米を飯に炊いて鰻、茶漬け、初鰹に剣菱の酒を飲む。」とあることから美濃地方の米は当時のトップブランドでした。
3斗5升が1俵とされた当時も美濃米だけは4斗が1俵とされて安定した収量と品質を誇っていたようです。
郡上の中でも米どころは郡上節に「俺が在所の大島村は米のなる木がおじぎする」と唄われた白鳥の大島を筆頭に和良の宮代、大和の徳永などですが、郡上八幡の民宿をはじめ旅館や飲食店も米は自家製にこだわるところが多くあります。
刈り取った稲は稲架(はさ)掛けにして天日に干し、また稲が育った同じ水質の水で炊くとよいとも言われます。澄んだ空気で育った米を名水で炊き上げれば江戸時代ならずともグルメの楽しみのひとつといえましょう。
郡上八幡産業振興公社では郡上産こしひかり米の宅配もしてくれます。
因みに江戸時代のお米ランキングは美濃米につづいて「播州米」兵庫県、「三州大濱米」愛知県、「伊勢米」三重県が並んでいます。
新潟県や秋田県が米どころとして安定したのは寒冷地栽培品種が開発された近代になってからのことのようです。
(参考文献 石川英輔著大江戸番付づくし 実業之日本社刊)