ガッタン、ゴットン、清流列車の旅。
12の鉄橋。12のトンネル。そして郡上八幡へは1日12本。
ディーゼルの音。油のにおい。
のんびり。ゆったり。郡上八幡への道すがら車窓風景も楽しい長良川鉃道。
せっかく遠くまでお出かけいただくのですから、不便、がっかりの期待はずれに終わってしまわないように、そのためのノウハウとローカル線長良川鉃道の楽しみかたをご伝授いたしましょう。
撮りテツ君のためにそれぞれの写真は左のようにオレンジ色のナンバーで下の地図で撮影ポイント(お立ち台)や見どころを示しています。例えば左の写真は地図の中でオレンジ色1番がその撮影位置を示します。
このページの写真はクリックしていただくと拡大します。
長良川鉄道(越美南線)の歴史
長良川鉄道の前身であった国鉄越美南線は1920年(大正9年)帝国議会において中京圏と福井を最短距離で結んで北陸本線のバイパス路線となる目的で建設が許可。越美線の名称でその南からの路線として建設がはじまりました。
1923年(大正12年)まず美濃太田と美濃町(現在の美濃市駅)間が開通します。
1926年(大正15年)7月15日に美濃町(現在の美濃市駅)から美濃立花(現在の湯の洞温泉口)まで延長。
1927年(昭和2年)10月9日美濃下川(現在の大矢駅)まで延長。
1929年(昭和4年)12月18日に郡上八幡までの46.9キロが完成。
1936年(昭和9年)にその後の工事によって北濃まで72.2キロが完成。しかしそれ以北の延伸工事は岐阜県と福井県の県境となる両白山地を越える難工事と戦局への時代の流れに阻まれ一旦中止となります。
1950年代になると北濃駅で終点ながらも越美南線はその全盛期を迎えました。名古屋からの直通運転の急行「おくみの」や,春と秋の臨時急行「みぼろ号」。郡上おどり徹夜列車、岐阜からはスキー列車が次々と運行されました。また旅客はもとより奥美濃の豊富な木材の搬出や物資の輸送にも大きな役割を果たしました。
1960年になって国道156号線が全面改良の工事を終えると鉄道の賑わいに陰りが見えはじめます。岐阜市から運行される特急バスに客足を奪われ、さらにマイカーの普及やトラック輸送がそれに拍車をかけました。
1984年(昭和59年)6月22日 利用客の減少に歯止めがかからず、赤字財政に悩む日本国有鉃道は廃止案を提出。そして6月に国会で第2次特定地方交通線として越美南線の廃止が承認されます。
1985年(昭和60年)2月26日 岐阜県と地元自治体で越美南線問題対策会議が設置され地方鉄道としての存続かバスによる代替え輸送かが検討されます。
1986年(昭和61年)2月27日 廃止に反対する地域住民の熱意を汲む岐阜県により第3セクター(株)長良川鉄道として存続が決まり、新駅の設置や新車両の導入,経営の合理化が図られるようになります。
2008年(平成20年)越美南線と並行する東海北陸自動車道と東海環状道路が完成し、これらの高速自動車道の整備がすすむ中で少子化の時代を迎え、ますます鉃道利用客の減少につながるという困難な現状をむかえています。
こぼれ話 ふたつの幻
越美本線全通の幻
岐阜県と福井県を結ぶ構想で建設された越美線でしたが南からの線路は1936年(昭和9年)に北濃駅で終点となり、北からの越美北線は1973年(昭和48年)に福井県九頭竜湖駅までの建設で中断されます。この間の距離はわずか14キロながら全線開通の夢は時とともに遠のいてゆきました。
ところが1978年(昭和53年)12月2日 日本列島改造論を唱えた田中角栄氏が首相に就任するとこの越美線が整備計画線から調査線を飛び越えていきなり工事線への昇格が認められました。
1979年(昭和54年)から公共測量が始まり、未開通部分の越美南線と北線の標高差約120メートルは北濃駅からスイッチバックで南進しながら標高を上げ油坂峠を越えるという当初の案から、北濃駅からはさらに北進して前谷地区から長大なループトンネルで桧峠を越え、石徹白地区へ抜けるという案に変更する、といった具体計画まで示されました。石徹白地区ではこの降って湧いたような朗報に「祝 越美線全通!石徹白新駅建設用地」の大きな立て看板も立ちました。
しかしその喜びもつかの間、翌1980年(昭和55年)国鉄再建法が公布されて工事は中止。越美線全通の動きもあっけなく消え去りました。わずか2年のはかない夢のうちに終わってしまったのです。
岐阜へ乗り入れの幻
1984年(昭和59年)に国鉄が越美南線の廃止を決定すると名古屋鉃道が第3セクターの大口出資者として名のりをあげました。そしてその計画となったのが岐阜から美濃市まである名鉄美濃町線を関駅で越美南線に合流させ、名鉄岐阜駅から郡上方面まで直通列車を走らせる構想があることを表明したのです。名称も「名鉄中濃新線」と付けられました。越美南線は非電化線ですが名鉄美濃町線の軌間は1067ミリで両路線とも同じだったのです。
しかしこの名鉄の出資条件に関から美濃太田間の廃止が盛り込まれていたため同区間の沿線自治体である富加町と美濃加茂市の反対にあい幻の計画で終わってしまいました。
名鉄美濃町線は残念ながら2005年4月に全線廃止となっており、この延長計画は美濃町線の生き残りをかけた最後の賭けだったのかもしれません。
下り各駅停車出発進行
十駅十色。長良川鉃道の23の駅はそのほとんどが何もないローカル線の駅。ホームから眺める田圃や山々は景色として絶景でなくとも、自然の風景と一体となった楽しさがあります。
列車が通過すると桜の花びらが舞い、線路わきの夏草が大きく揺れる。また、朽ち果てたような古びた駅舎もよく見れば味わいがあり、細部を観察すれば思わぬ発見があったりもします。ここではそんな駅のひとつひとつを下り列車に乗って美濃市駅から郡上八幡駅までの15駅をご紹介しましょう。
美濃市駅
長良川鉃道の起点「美濃太田駅」から11番めの駅です。1923年(大正12年)に「美濃町駅」として開業。ホームは1面2線の島式。本線のほか貨物用の引き込み線がありますが使われているようすはありません。ホームの位置が駅舎より高い地形位置にあるためホームから地下におりて線路をくぐり駅舎とつながる構造になっています。
周辺概要
美濃市駅は一つ列車を見逃してもぜひ途中下車をしていただきたい落ち着きのある美しい町です。
これはけして郡上市の隣人としてのよしみだけではありません。駅からわずか徒歩10分で江戸時代さながらの古い家並みと文化財の数々。
それにまだ「知る人ぞ知る町」というところが観光客でごった返す観光地よりはるかに旅情と魅力にあふれています。郡上八幡を旅先に選んだあなたには美濃の町もきっと気に入っていただけると思うのですが。
一般的に体内にテツ分の多い人はあまり途中下車して観光や町歩きとかはしないものですが美濃市だけはその例外としてください。そこには鉄ちゃん必見のお宝も隠されているのです。
美濃市駅をおりて駅前通りを行くと左に目にとまるのが丸窓のある赤い車両や緑のチンチン電車。「あれ〜、君たちこんなところにいたの!?」とつい駆け寄ってしまう…。
そう旧名鉄美濃町線の電車たちです。保存されている旧美濃町駅のホームにはかつて岐阜市内線を走っていた大正15年(1926年)製造の丸窓五枚窓の名物車両モ510型512号や美濃町線を走っていた昭和32年製のモ590型など日本の鉃道史上貴重な車両が展示されているのです。
名鉄美濃町線は明治44年(1911年)敷設という長い歴史を持ちましたが、残念ながら平成17年(2005年)に廃止されてしまいました。数々の名物車両を持ち、ある時は市電のように、ある時は颯爽と郊外を走りぬけたその姿は今なお多くの鉃道ファンの中で伝説になっているのです。
そしてそこまで歩いたら駅前通りをそのまま突きあたりまで進み右に折れると古い江戸時代の町並みにタイムスリップ。
まず目を引くのが国指定の重要文化財に指定された小坂家。ゆるやかなカーブを描く起り(むくり)屋根や屋根の両側のうだつの意匠もお見逃しなく。
この旧二番町の通りともう1本北の旧一番町一帯が国の重要保存建築物群に指定されていて、特徴であるうだつを持った江戸時代からの紙問屋や商家がおよそ百軒、みごとに軒を連ねています。
この行程はサッと見て回れば約1時間半。次の列車には優に間に合いますし気に入ったら列車をもう1本見逃して散策をのんびり楽しむのもよいでしょう。
梅山駅
単線ホームで県立武儀高校の通学に便宜を図るため長良川鉃道に移行すると同時に開業しました。駅舎は学校の敷地に隣接しています。この駅を過ぎたあたりから線路は清流長良川に沿って走ります。
湯の洞温泉口駅
かつての相対式ホームの名残りが残っています。越美南線開業時の最初の駅名は「板取口」それがやがて「立花」と変更になり、長良川鉃道になると「湯の洞温泉口」と3たびその名が変わりました。花の駅として鉃道ファンの間では知られ、春は芝桜、藤。秋はサルビアやコスモスが被写体となる列車に彩りを添えます。
洲原駅
国道の影に隠れるように単線ホームの駅があります。下り列車進行方向の左側一帯は天然記念物に指定された鶴形山暖地性照葉樹林。列車が洲原駅を出ると右側の車窓には洲原神社の社叢が見えてきます。
母野駅
国鉄越美南線時代の駅名は郡上木尾(こんの)。長良川と山に狭められ、周囲にはあまり集落もないところですがかつては相対式ホームをもつ交換可能駅でした。
木尾駅
ホームは単線(下り列車より見て左方向)。駅の前を国道が走り、その向うを長良川がゆったりと流れています。
八坂駅
旧名は半在(はんざい)。ホームは単線(下り列車より見て左方向)でホームには木造の開放式待合室が1棟あるのみの典型的なローカル駅です。
周辺概要
下り列車がこの駅を出てすぐに渡る長良川の光景はこの鉃道の撮影ポイントのひとつです。
鉄橋と並行する村道の橋の中央がお立ち台(撮影ポイント)です。またこの八坂駅もなかなか味のある被写体になります。
みなみ子宝温泉駅
駅舎は2002年4月4日開業の真新しい単線ホームです。長良川鉃道移行後にこの線路わきの土地に温泉の湧出があり、温泉施設ができたためその利用客を見込んでもともと駅の予定地ではなかった所に駅舎が建てられました。したがってホーム全体が大きくカーブをしています。
周辺概要
駅舎がそのまま温泉施設という全国でも珍しい駅です。しかも長良川鉃道の利用者はお風呂の入場料が無料という大特典!
次の列車まで広々とした露天風呂や桧風呂でゆっくりお湯につかって長旅の疲れを癒して「サァ、もうひと旅」なんてことのできる鉃道は全国でもそう多くはありません。(但し入湯税50円は負担となります。)
このユニークさがかわれ平成14年には「中部地方の駅百選」に選定されました。
大矢駅
旧名は美濃下川(しもかわ)。2面2線の相対式ホームに引き込み線をもつ駅舎(無人化により待合室のみ)はかつての中核駅としての面影を残しています。
木造の駅舎はかつてのにぎわいを忍ばせます。構内には見事な桜があって花の季節は味のある駅舎とともに格好の被写体になります。
福野駅
ホームは単線(下り列車より見て右方向)でホームには木造の開放式待合室が1棟あります。
美並苅安駅
国鉄越美南線時代の駅名は郡上苅安。郡上市美並町(旧美並村)の名は越美南線開通以降の1953年(昭和28年)の昭和の大合併によりできた名称なのでかつて村内に8駅あった駅名に美並の名はひとつもありませんでした。
そこで長良川鉃道移行時に村の中心にあたるこの駅が「美並苅安」に改名されました。
同じような改名はやはり沿線に5駅を持ちながら同様のいきさつで町名の駅が無かった郡上市大和町が美濃弥富駅を「郡上大和」に変更しています。
美並苅安駅は相対式ホームをもつ交換可能駅です。
赤池駅
赤池地区はその集落をぐるりと湾曲するように長良川が流れ、対岸から見ると半島のような地形です。その両側から二本の鉄橋が架かり、そのまん中に赤池駅があります。
単線ホームのこの駅からは右を見ても左を見ても鉄橋が見えます。
深戸駅
赤池駅を出た列車は長良川を渡り三日市トンネルをくぐって平坦な田畑が広がる中を深戸駅に到着です。ここは長良川に沿って約1キロの桜並木となっており春の眺めは見事です。
周辺概要
深戸駅を出ると約1.8キロ北に通称トリプルトンネルと呼ばれる3つのトンネルが重なり合ってひとつの山を貫いている箇所があります。
下段から長良川鉃道第10号トンネル、国道156号線、東海北陸自動車道のトンネルです。東海北陸道は上下線がありますから正確には計4本のトンネルということになります。東海北陸自動車道のトンネル掘削工事の際にはその振動で長良川鉃道のトンネル内の壁面が崩れるという事故も起こりました。
相生駅
駅が開設された1929年(昭和4年)以来運転取り扱い要員も兼ねて駅員配置がありましたが1980年に無人化されました。
現在、駅周辺は静かな集落ですが昭和60年頃までは食堂など数軒の商店や学校が並ぶ賑わいがありました。
周辺概要
相生駅から2.5キロ先にある鉄橋は長良川第6橋梁。長良川が大きく向きを変える川幅の一番広い部分を跨いでいるので沿線では一番長い鉄橋です。周囲は鮎釣りの良漁場として知られています。
またその先1キロにあるトンネルは11号中野隧道。
通称「11トンネル」の名で沿線では最も知られたトンネルです。それは国鉄時代に全国の国鉄総路線で隧道登録されているもの(落石や雪崩防御のトンネル、道路の跨線などはこれに含まれない)の中では最短のトンネルであったためです。
つまり日本最短の鉃道トンネル。その長さはわずか7メートル。現在の土木技術だったらわざわざトンネルなんか掘らないでバッサリ削り取って「ハイ完成!」となったことでしょう。
なお越美南線が長良川鉃道になった現在、JRにおける最短のトンネルはJR吾妻線の樽沢隧道(7.2メートル)がその座につきました。
郡上八幡駅
美濃市から長良川に沿って45分。始発駅の美濃太田からだと1時間15分。さぁいよいよ郡上八幡駅に到着です。
郡上八幡駅は1929年(昭和4年)開業。長良川鉃道の中核駅です。ホームは駅舎に面した上り1番線と1面2線の島式(2番〜3番線)を組み合わせた造りで両ホームは跨線橋で連絡しています。
3番線と構内の側線(旧貨物専用線)は今はほとんど使われることはありません。
下り2番〜3番ホームには木造の上屋と待合室があり、トイレは1番ホーム上の跨線橋付近(改札内)および改札外にあります。
写真をクリックして下さい。360°パノラマ風景へ入ります。
駅舎は開業当時のもので木造平屋の駅舎に木造の跨線橋と国鉄時代のなごりを色濃く残している全国でも数少なくなった駅のひとつです。
それを目当てに全国からおり立つ鉃道ファンもあって、長良川鉃道と地元ではそのささやかな歓迎の気持ちを込めて駅舎内に「ふるさと鉃道館」(無料)を設けて国鉄時代の地方路線の歴史を物語る数々の備品を展示しています。
ミニ博物館ですが鉄道ファンにとってはお宝の山!どうぞお見逃しのないように。
写真をクリックして下さい。360°パノラマ風景へ入ります。
長良川鉄道の車輌たち
2009年(平成21年)4月現在(株)長良川鉃道は、旅客車両14両(気動車4形式)と保守用車両4両を保有しています。
1986年の国鉄から長良川鉃道への転換時に用意された車両で、バス用部品を多用した富士重工業製のLE-Carシリーズの軽快気動車です。
車体は樽見鉄道ハイモ230-300形と同様の15m級の両運転台ですが、前面は非貫通になっています。カラーリングはクリーム色に長良川をイメージした青と沿線住民の熱意を表すオレンジ色の帯を配したデザインになっており、長良川鉃道発足時の意気込みが感じられます。後に側面を沿線自治体にちなんだイラストに変更された車両も登場します。
座席はロングシートで定員は98人(座席46人、立席52人)。冷房装置はバス用の22000kcal/hのものを1基搭載。走行用機関は直噴式ディーゼルの日産ディーゼル製PE6HT03(230PS/1900rpm)を搭載しています。
1986年に10両、翌1987年に2両の計12両 (1 - 12) が製造されましたが1998年度から半数が3形に置き換えられています。2007年、5形の導入に伴って5両のうち1両が廃車となりました。
1994年の増備車で、ナガラ1形と同じく富士重工業製の軽快気動車ですがより鉄道車両的な車体となり、車体長も16mと大型化されています。カラーリングは1形とほぼ同じですが、側面は四季をイメージしたイラストになっています。
座席は接客設備の向上のためセミクロスシート(クロス部はボックスシートで2人+1人)となり、定員は103名(座席44名、立席59名)。冷房装置は機関直結式(24000kcal/h)です。走行用機関も大出力となった日産ディーゼル製PE6HT03A(250PS/1900rpm)となっています。
老朽化した1形の代替新造車として1998年から富士重工業で新製された軽快気動車で、明知鉄道アケチ10形に始まる私鉄向け標準車両の一つです。
車体は2形と同様の16m級で座席はセミクロスシート(2人+2人のボックスシート)ですが、ワンマン運転時の乗客の移動に配慮してボックスシートは千鳥に配置されています(306のみイベント用のため、オールロングシート)。また車椅子スペースも設けられました。
カラーリングはワインカラー一色で、側面に沿線自治体の花をあしらったステッカーが貼られており、また車体広告がなされた車両もあります。
定員は102名(座席47名、立席55名。301 - 305、307の場合)。走行用機関はさらに大出力化された日産ディーゼル製PF6HT03(295PS/2100rpm)です。
また、305 - 307ではドアチャイムの追加や前面ステップの変更といったマイナーチェンジがなされています。
2007年に増備され、同年4月9日より運行開始した車両で長良川鉄道としては5年ぶりの新造車両です。2009年4月にはさらに2両が追加されました。車体は3形がベースとなっていますが眺望を配慮した広い側窓が特徴です。カラーリングは3形同様ワインカラーで車体中央に水色と白のラインが追加されました。
定員は107名。車内はオールロングシートで走行用機関は3形と同様の日産ディーゼル製PF6HT03(295PS/2100rpm)となっています。
また、方向幕は従来の幕式からLED方式に変更となり、長良川鉄道の車両として始めて車両の横にも方向幕(LED方式)が設けられました。
お座敷列車としての転用ができます。20人以上の団体で貸し切り利用が可能だそうです。
トロッコ列車(NTB形(209)・ナガラ3形(3001,3002)・ナガラ5形(5001,5002)・ナガラ7形(7001))
1992年から2003年まで運行されていたトロッコ列車用の車両です。NTB形は保線用のモーターカーを車両として入籍したもので、珍しい自動転車装置の作動シーンが鉄ちゃんたちの人気の的でした。
ナガラ3形は旧国鉄のヨ8000形、ナガラ5形はヨ6000形、トロッコ車両のナガラ7形はトキ25000形をそれぞれ自社で改造したものです。
列車は、NTB209 + 3001(とみか) - 5001(しろとり) - 7001(トロッコ車) - 5002(みのし) - 3002(はちまん)の編成で運転されていました。
清流の風をうけながら、また景色のよい場所では徐行や停止をするなどしてサービスにつとめ人気を集めていたましたが、2003年に牽引車が脱線事故を起こしたことからトロッコ列車の運転を取り止め、その後に車両も廃車となりました。
なお、ナガラ3形・5形は前述の気動車と形式番号が重なりますが、車両番号が異なるため問題はありません。
当長良川鉄道についての執筆には名古屋市鉄道愛好会の山口マック氏の監修とご協力をいただいております。























