
みどり深き山々と清らかな水が生みだして、郡上びとが育んだ味覚の数々。 |
郡上八幡グルメ考へとつづく |

| 「旅ゆけば郡上の里に茶の香りィ…。」 | ||
郡上銘茶 郡上八幡の特産として隠れた人気のあるのが「手もみの焙じ茶」。小那比、相生地区で栽培される茶葉が使われます。
この山里で手摘みされた茶葉は培炉(ほいろ)と呼ばれるもみ台で手もみにされ、葉振るい、もみ切りといった伝統的な製法で念入りに作られます。
|
|
|
| 郡上八幡は「五穀豊穣」の町。 | ||
雑穀 都会では健康食品の店にでも行かないかぎり、手に入れにくい粟やきびなどの穀類も郡上八幡ではあたりまえのように店先に並んでいます。
|
![]() |
|
| 人気は「うなぎのぼり」その秘密。 | ||
うなぎ 「郡上八幡のうなぎは美味い。」というのは定評のあるところです。
|
|
|
| たかが「蕎麦」されど「蕎麦」。 | ||
| そば 水のきれいな町には、必ずおいしいそば屋があります。
|
![]() |
|
| |
||
| 「郡上焼き」というお好み焼きについての考察。 | ||
お好み焼き 郡上八幡のお好み焼き屋には「郡上焼き」(又はネギ焼き)というお好み焼きがあります。
|
|
|
| 日本百選の名水で生まれる豆腐。 | ||
| とうふ 古い町並みを歩いていて「おやっ?」と不思議に思うのが軒先につるされた白い木箱。 ここでは豆腐にもちゃんと旬があって、「絹とうふは桜の花が散ってから、からし豆腐は6月から。」といったこだわりがあります。
きれいな水の恵みを最大限にうけた郡上八幡の豆腐たち。それは多くを語らない店のご主人や職人たちに代わって雄弁にその美味しさを主張しているようです。 |
|
|
| 「水清く、鮎美味し。」 |
||
鮎 夏の陽射しに清流はきらめきを増し、山々に緑はその濃さを深めます。鮎釣りの解禁ともなれば全国から太公望が集まる長良川。日本屈指の清流です。白山山系の火山岩が鮎の餌となる良質の珪藻を育み、全長136キロメートルの大河でありながらダムのない自然河川は天然鮎をはじめサツキマスやアマゴなどの淡水魚をぐんぐん遡上させます。そして現在でも多くの川魚漁師がこの川で生計を立て、郡上八幡ならではの釣り文化を育てあげているのです。 ひと口に長良川の鮎といいますが、その上流にあたる郡上八幡一帯の鮎は「郡上鮎」と別な呼称でよばれ一目おかれた存在。東京は赤坂や築地の高級料亭へも連日最高のものが直送されて行きます。 鮎は6,7月は若鮎、8月になれば豊潤な味わいとなり9月は子持ち鮎とその時々に味覚をかえて楽しませてくれるのが特徴。料理法は「うねりざしに竹串を打ち、塩をふってこんがり焼きあげ、熱々のうちに召し上がれば、天下の美味ここにあり。」と称される塩焼きを筆頭に鮎雑炊、鮎寿司、味噌のよい郡上ならではの魚田など。生命はもちろん新鮮にある鮎にあって刺身や背越しでいただけるのも産地ならではの強みです。 郡上八幡のほとんどの料理屋や旅館は清流や湧水を引き込んだ生簀に生きた鮎を放ち、調理する直前まで生かしているので「香魚」の名にそむかない本物の味が期待できます。夏の宿の夕食はもちろん料理店も「鮎づくし」「鮎御膳」といった名のコース料理でその味を競い、これだとひとり3、4匹の天然鮎をたいらげるわけでまさに鮎料理の世界を制覇した気分。郡上の人は「おいしい鮎が食べたければどうぞ足を運んで、」といざないます。 宅配グルメの興隆やデパートの地下食品売り場大人気の今の時代にあって「その季節(とき)の物をその産地に出向いて食すことこそが真のぜいたくで美味しさの原点である」ということを郡上八幡の人々は静かに問いかけているようです。 |
![]() |
|
| ピリッと甘い京への憧れ | ||
肉桂玉 郡上八幡の宗祇水につづく石畳の路地を歩いていると、かすかに漂うニッキの香り。どっしりとした蔵屋敷は古くから続く名物の肉桂玉の本店です。 郡上八幡城の歴代城主はいずれも京都に太いつながりをもち、刀鍛冶、大工はじめ多くの職人を京都から郡上に招いて産業や文化の高揚をはかっていますから (郡上ことばが美濃地方の方言と全く違って京都訛りなのはこのため) その中の菓子職人がそののちこの地に伝えたと考えても不思議はありません。高価な砂糖を大量に使う飴菓子は当時は贅沢品のひとつでした。 今も肉桂の風味を生かした郷土菓子は肉桂玉の他に肉桂せんべいや餅菓子「美濃路」などに見られます。そしてそれぞれにどこか京名物を彷彿とさせる味わいがあります。 |
![]() |
|
|
みのり豊かな美濃の里 |
||
郡上米
歴史を学ぶ中で一般に一揆の記録や飢饉の記述からあたかも江戸時代の農民は米を作っても食べられなかったような印象をうけますがそれは誤りで、あったとしてもごく一時期のことだったようです。当時の日本の人口は3000万人。米の生産高は3000万石。輸出入のなかった時代ですから一人あたり年間1石の米は主食として十分あり余る量。江戸の昔もみんなおいしいお米を食べていたという事実にはちょっとびっくりします。 江戸時代の国学者、平田篤胤が書いた江戸の町の楽しみは「美濃米を飯に炊いて鰻、茶漬け、初鰹に剣菱の酒を飲む。」とあることから美濃地方の米は当時のトップブランドでした。3斗5升が1俵とされた当時も美濃米だけは4斗が1俵とされて安定した収量と品質を誇っていたようです。 郡上の中でも米どころは郡上節に「俺が在所の大島村は米のなる木がおじぎする」と唄われた白鳥の大島を筆頭に和良の宮代、大和の徳永などですが、郡上八幡の民宿をはじめ旅館や飲食店も米は自家製にこだわるところが多くあります。刈り取った稲は稲架(はさ)掛けにして天日に干し、また稲が育った同じ水質の水で炊くとよいとも言われます。澄んだ空気で育った米を名水で炊き上げれば江戸時代ならずともグルメの楽しみのひとつといえましょう。郡上八幡産業振興公社では郡上産こしひかり米の宅配もしてくれます。 因みに江戸時代のお米ランキングは美濃米につづいて「播州米」兵庫県、「三州大濱米」愛知県、「伊勢米」三重県が並んでいます。新潟県や秋田県が米どころとして安定したのは寒冷地栽培品種が開発された近代になってからのことのようです。(参考文献 石川英輔著大江戸番付づくし 実業之日本社刊)
|
![]() |
|